2011年4月7日木曜日

大地震によって明らかにされた日本再構築への道筋 そのⅡ

平成23年4月8日

震災発生後のお粗末な状況把握

 政府から大震災の発生に対して、どの位い的確な対策が打てるかは、スピーディーな被害状況の把握がまず第一だった。この点、政府の対応は極めて不可解で遅かった。加えて国交省をはじめ海上保安庁、航空自衛隊等の関係機関の出動、連繋も機能しなかった。

 各方面に配備されている空自のヘリコプター、偵察機を瞬時被災地上空に派遣し、被災状況をつぶさに把握することは可能だった。自衛隊の出動も、有事の際には、何とも機能しないような遅さで、知るところでは、派遣決定に、硬直化した官僚組織は、2日間も要した。有事にあって、何もあてにならないことを、国内ならず、国際社会に露呈してしまった。寸断された高速道路、交通網も、このことに拍車をかけた。わが師が、かつて提唱していた、『島国日本に、最も適切な30人規模の小型輸送手段は、水上飛行機だ』ということばを思い出した。大規模な空港施設も要らず、日本各地の簡単な港湾施設整備と交通体系に新しく加えるだけで、こうした非常時に、効果的に働く輸送手段としては、うってつけである。熱海のような観光地再生にも、役立つと師は、良くいっていた。

 国家成立の目的、国の目標を、読み書きを覚えはじめた小学生でも分かるような表現で示された憲法が、日本にはない。各省、関係官庁の連繋がうまくゆかない理由に、「各々の省庁が主管している法律が、バラバラに機能し、法律同志が競合していても、これを束ねる、きちんとした憲法規定が不在である。」からだという人もいる。各省が狭い意味での省役にこだわっているため、省庁間で重複業務が多々あったり、連繋実現が進まないため、ムダが多いといわれる。

司令塔不在・「決断」しないリーダー

 

良くも悪くも、こうした非常事態にあって、司令塔・リーダーの「決断」は、効果的な事態終決に不可決である。残念ながら我が国には、国民の総意を受けて、最終意志決定者となるべき国家元首がいない。天皇が、そうだという人もいるが、天皇は憲法に定められているとおり象徴である。こうした国家中枢のあいまいなしくみも、「判断」はしても、「決断」できないリーダーを生ましめている背景といえなくもない。「判断」は、証拠を並べたて、あたかも入学試験で正解を求める如く結論を出せばいいのだが、ことにあたっての重要な「決断」は、むしろ、証拠や、過去の事例に基づくことなく、重大事の本質を見抜き、広い視野と経験に基づき、効果的な未来を導き出す直感的な能力である。東大出のエリートにはしにくい思考行動である。この点、学歴とは関係なく、修羅場をくぐり抜けてきた、田中角栄的リーダーが切望される所以である。東電の幹部も、菅首相も、あいまいな発言の裏に、消費者、国民不在の視野の狭さが目立ち、明るい未来を迎えるための構想力と決断力が不足している。

 私自身も、大企業であっても、こうした想像力のない、未来に対して責任を持てない。体質の組織が嫌だった。小さいながらも、お客様のために責任ある最善の決断が、どんなにささいなことでもしたくて、三六才で小企業を起した。

 今回の事態は、私のような中小企業経営者にとっても、極めて厳しい環境の中で、苦渋の意志決定を余儀されることを覚悟しなければならない。

遊兵化する自衛隊は、たるんだ行政組織の象徴

(力強い元JCのリーダー達)

 大震災発生後、出動に2日間を要した自衛隊も、これまた、有事の構想力に欠け、判断しかできない組織に成り下がっている。

 四月三日、親しい友人・八人を連れ立って、炊き出しのため被災地・石巻市門脇地区に行ってきた。主宰するテンダー会議のメンバーで、元JCの神奈川トップを努めたK君の人脈と、連絡網が、どんなメディアよりも有効で、役に立ち、徒党嫌いの私でも、有事に役に立つ、若手集団としてのJCを見直した。とりわけ、自らも家を失い、会社が被災しているにも拘らず、献身的に被災地支援のために、不眠不休で、救援物資の仕分けに取り組む、元JC・東北地区トップの通称、「谷部ッチ」の奉仕・行動力に感動した。谷部ッチの眼には、博愛の精神がみなぎり、一人の幸福な人生を構築しつつある、望ましいリーダーの姿が映し出されていた。帰路、疲れているにも拘らず、夜九時過ぎに、石巻市の最も被災の過酷だった市役所周辺を案内してくれた。

絶句する被災地状況

 それまで、テレビで放映される現場とは、比較にならない悲惨な被災現場で、昼間であったら、正視できないような被災状況が想像された。石巻の漁港から五百米位いのところだったが、ここに、三十米程と想われる崖があり、この崖が被災の明暗を分けた。崖の下には幼稚園があり、崖の上には園児達の母親が住む日本製紙の5階建ての社宅が建っていた。震災当日、十メートルを越える大津波が、地形的には、海岸からこの崖に至る猫の額程の人口密集地を、たった数分の間に、三回も襲った。私達が良く体験する例では、嵐の日に、川の淀みの狭い部分程、何回も波が打ち寄せる情況と似ていると思った。一回目の津波で先生達に引率された園児数十人が崖の坂道を昇り切らない中に、二回目の大津波が襲い、一瞬にして悪魔のような波に呑みこまれてしまった。崖上の社宅に住む何人かの父兄は、愛する分身の、尊い命が失われてゆく瞬間を目撃し、絶句した。更に悲惨を極めたことが起った。隣地にあった工場の重油が流出し、津波のため折り重なるように崖下に堆積した車から引火し、辺り一帯を焼きつくしてしまった。凄惨な焼け跡の情況は、暗い闇の中で、ところどころ、焼けただれた車や家を浮き立たせ、恐ろしさを、一層私達の脳裡に刻みこみ、誰ともなく、涙があふれ、すすり泣き、しばし鎮魂の黙祷を捧げ、その場に立ちすくんだ。

復興の原動力、良き東北人気質

予想外だったのは、炊き出しの場所として選んだ駐車場の、ファミリーマートだった。自販機は誰がこんなことをしたんだろうと、全てバールのような物でこじ開けられ、店内のあらゆる商品は、持ち去られていた。他の被災地でも、ATMを含め、同様な情況が目立った。あり得ない、想定外のことであったが、身寄りを失った高齢女性の自殺者が急増し、時々、レイプ等も起こっているという事実も聞かされ、メディアでは伝えきれないできごとを知って驚いた。

 私達が石巻市の門脇地区の先の駐車場で実施した炊き出しは、準備に思って

いたより時間がかかり、午後三時から、夜八時に及んだ。

 これまた、テンダー会議、私達の会社の下請組織であるさんろく会、そして元JCのメンバー等の厚志で、声をかける度に、支援物資が集まった。あり難かったのは、かつて所属していたロータリーの友人から、貴重な農産物の提供をうけたり、たくさんの支援物資を届けることができたことだ。

 最も助かったのは、普段目にすることのない一トンのポリタンクをお借りできたことだ。被災地において水は貴重で、被災後3週間を経たその日、炊き出しに集まった付近の人々は、水不足のため洗濯ができないと嘆いていた。炊き出し終了後、未使用だった五百キロの水を住民の人々に分けることができて嬉しかった。

 用意したメニューは、豚汁、ラーメン、甘酒で、各々、五百人分位いを用意したが、好評裡に五時間の間に提供しつくした。炊き出しを聞きつけ、タクシーで来る人もいて、震災後、過度の自粛ムードで、売上げ、利用客が激減している、首都圏の飲食店にとっては、羨ましい話しだと、苦笑いしてしまった。好評だったのは、ラーメンで、これまた、卒業以来殆ど会うこともなかった、高校時代の友人が経営するラーメン食材卸しのお店から、友人の好意で提供されたものだった。久しぶりに、電話であったが旧交を温め、思わぬ副産物に、胸が熱くなった。

 炊き出しに訪れる殆どの人が、着のみ着のままで、湯気の出たラーメンを、口にした途端、「うわっ、美味しい!」と、喜んでくれた。来て、本当に良かったと思った瞬間が、その後夜八時まで持続し、私達が勇気づけられ、「今度は、あったかいカレーライスを何とかしよう」と皆で帰路語り合ったほどだった。

 たまたまであったが、炊き出しに利用させてもらった駐車場には3時間程自衛隊の十トントラックが、トラックの大きさに似合わない一トン程のタンク車を牽引し、給水作業を行っていた。きれいな迷彩服に身を包んだ二人の自衛隊員は、時折訪れる被災者のために、何かをする訳でもなく、おしゃべりをしていた。迷彩服は行動を迷催するためのように思えた。テレビで見ていた被災地でガレキを片付ける自衛隊員を、石巻では二日間見ることもなかった。避難所でも、ご飯を炊き、カップラーメンに、お湯を注ぐことしかしないらしい。帯広からきた重装備の十トントラックは、多分燃料消費も多量で、無用の長物化していた。もちろん一生懸命、命がけで復興に向けて、任務を遂行している多くの自衛隊員もいるので、2日間の見聞だけで苦言を呈するのは短絡かもしれない。もっともっと力強くスピーディで、ていねいな行動指針か、自衛隊の司令塔に必要な気がした、もったいない自衛隊が遊兵化しているという所以だ。

【自然災害に想定外はない。想定外を想定内にする対策要】

 もともと日本のリーダーには構想力、想像力がない。未知の未来に向けて、正解のあることに正解はできても、適切な方向づけ、決断ができない。

 いわんや想定外のことを考え、対策に手を打つことなどは頭の固い、彼等には、不可能である。皮肉を云えば、政治的リーダーの大事は過去の事例に固執し、全ての国事に関し想定外の難問を、前例にこじつけ、恰もそれが正解のように表現できる、一貫した精神構造をもった、稀な能力をもつ人ともいえる。

日本再構築構想の道筋

 あてがわれた戦後の政治・社会システムが、安保を含め、真に国の安全を考える意味で、制度疲労を起している。憲法不在のまま何か事が起こる度にこの制度疲労した部分を付け焼き刃で、あて布で、ことの本質を隠し、経済成長だけは、目を見張るものがあった。しかし、リーマンショック等に象徴されるように、この成長神話もうたかたの物語にすぎず、経済も、その主体性を見失っている。更に、今回の大震災は、この本質を問うているように思う。国家再構築のため、百年の計を立てる好機が必要である。

 現時、非常に短絡的ではあるが、この数年新しい魅力的な施策が打ち出される度に、財源をどうするかという論議に時間を費やし、施策の目的・本質を損なわれることが目立つ。結局も改革というスローガンは掲げられるが、どれもこれも虚しくその御旗はほころびてゆく。

必要な被災地外の地域の普通の経済活動

 年度末、年始。卒入学をはじめ人事異動、企業においては新年度に向けての明るい豊富がみなぎる時期でもある。2・8と云われ、暇だった2月の売り上げを、この時に補う飲食店も多い。経済活動のもたらす税収によって支えられている官庁、多くの旺盛な国民消費によって支えられている大企業、特に銀行等が、こぞって、歓送迎会や宴会を当分、自粛、乃至禁止したようだ。幣社のテナントさんの肩をもつ訳ではないが、本来、この繁忙期だったはずのこの時期に売上げが落ち込み、家賃が払えないと悲鳴を上げている。このままでは、店をたたむしかない人もいる。落ち込んでいるのは飲食だけではない。計画停電によって、宿泊客ゼロの日もあるという、箱根湯本の温泉街、関係者も含めれば、何万人という働き手が不安の極にいる。

 かつて飲酒運転で、福岡の家族を悲惨な犠牲に追いこんだことが、きっかけで、過度と思われる規制がしかれ、飲食のみならず、経済活動が極めて窮地に追い込まれたことは記憶に新しい。目的は異なるが、被災地復興への原動力は、被災地外の人々の支援と、経済活動にあることを、もっと深くうけとめないといけない。そうでないと、国そのものが危うい。財源論の前に、どんなことがあっても、活力のある未来に向けて、ふつうの経済が維持できる地域では、自粛ではなく、支援に向けて積極的な経済活動を維持することに、施策の軸足を置く必要がある。これがなければ、税収はもっと極端に落ち込み、財源そのものが亡くなることを肝に銘じなければダメだ。元も子もないということになりかねない。

日本再構築を目指し、百年の視点で

 四季の訪れによって映し出される、美しい日本の自然、この中で育まれた助け合いの精神風土、いずれも、愛国心を含め、私達の住む日本の資質を見直す時が来ている。

 今回の震災に会って、つい五十年前には、ふつうにあった停電の時、小さなローソクの炎のもたらす、一灯の大切さと、知足の文化があったことを思い出した。

 技術テンコ盛りの限界知らずの企業活動が今日の繁栄をもたらしてきた一方

で、多くの大学卒業生が就職先を失い、自殺者が急増している。何かのインテ

リジェンス(行間を読む智慧)が欠けている。

 人間が、大昔、絶大無限な宇宙生命から、その存在を授けられているように、自然・生命のバランスやこれを超えた存在はあり得ない。原発に象徴されるように、技術テンコ盛りの人知は、あさはかで、自然を冒涜する行為と認識する必要があり、危険である。

 かの原発で二十年間、放射線を浴びつづけ、逝去された平井さんが云っておられるように「原発で電気を作る位いなら、電気なんて要らない」という真言は、このことを象徴している。

 石油主体のエネルギー供給策を維持し、米国が覇権を維持し続けるために、原発は隠れ蓑になっているという評論家もいる。我が師は、早くから危険な原発をやめ、南米の地下に眠っている石炭資源を共同開発すれば、世界の総人口が七十億になっても、あと百年はもつと強調されていた。ドイツと同じように、原発を全廃し、水力・火力をはじめ、安全な発電システムを見直すべきである。

全国民の智慧で、新たな都市構築に挑む

 想定外のことを想定した、新しい都市創造に向けて衆知を結集する好機だ。

 湘南地区にも、今日若干の津波が押し寄せたが、三陸とは異なる地形によって、水位が若干高まった程度だった。関東大震災の時の記録によると、鎌倉若宮大路で、海抜10M程度の所まで波が打ち寄せたらしい。日本各地どこであっても島国なるが故に津波の心配は否定できない。地勢学的にはもともと火山の上に載っているような国だ。プレート型地震だけでなく、活断層型の地震も懸念される。

 要は大地震は起こり得る。今回の大震災の教訓を深くうけとめ、万一の場合に最小被害に止まるよう種々の対策が必要である。既に被災現地では、仮設住宅が建てられ始め、道路にも新しい電柱が建てられ始めた。全て仮設であれば、当面の対策として仕方ないのであるが、本格的復旧・復興は、復旧型ではなく、極力万全かつ最新の都市計画方法や、土木技術等を結集し、首都移転も含めて被災都市をそっくり造り直す覚悟で臨む必要がある。例えば海辺から五百M位いの地域は港湾施設や海上保安の施設に限定し、住宅地は山の中腹を切り拓き米国の西海岸のような湾岸を見下ろすレベルに宅盤を上げることが必要である。宅地造成のために削りとった土は、商業施設や学校、公共施設・公園等の非住居系の施設・建物を配置するための市街中心地を、埋めたてにより地盤を最低、今の10M位い上げたらいいと思う。海辺で働く人には、避難のためのシェルターか、櫓状の5階建て位いのハイツリーを作り、下部三層位いは強固な支柱のみとし、津波が抜けてゆくように設計したらいいと思う。今年完成するハイツリーにちなみ、ハイツリー計画とでもいったら面白い。市街地は全て電柱を作らず、共同溝方式とし、所々に広場を設け、工事や災害時にシェルター機能を併設させる案はどうだろうか。三面構成の新しい耐震型の都市計画像が浮かび上がってくる。今回の地震で、いざという時堤防は意外に役にたたないことがわかった。

 財政危機の長期化が懸念される中で、巨額の保有米国債を換金し、これを復興資金にあてることや、不要な道路工事を、中断し、公共工事の矛先を、復興のための工事や支援に集中させることを、新たな公共工事として取り組む必要がある。企業の内部留保も新しい寄付税制を発案し、この種の復興事業寄付にあてる事もいいだろう。寄付によってできた耐震施設に寄付企業名をつけることもいいのではないか。計画から実施完了まで三十年から五十年かかる平成の大事業である。今のような視野の狭い政治家達では成し得ない。首相を公選にするなり、国家元首を新しく創設するなりの抜本改革を伴う。今回の大震災からの復興を国民共通の最重要課題として捉え、実現する覚悟が不可欠である。 

 新しい国家創造に向けて、民主を超えた「忘我利他」の精神が全ての原動力となる。

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