2010年5月24日月曜日

~マニフェスト(宣言)の危うさ~

 
 北川元三重県知事が導入したマニフェスト、長年実務をこなし、あらゆる社会の辛酸をなめて、成功体験を勝ち得た人のマニフェストであれば、たぶんその大方は実現しただろう。  何故民主党のマニフェストはなかなか実現しないのか。

 まず1つの理由(ワケ)は、自民党が50年かかってもできなかったことが半年や1年でできるわけがない。最低その一割の期間(5年)は必要である。さらに私達国民にこれを看守るる寛容がないことである。もう1つの理由(ワケ)は、社会での大した成功体験もなく、実践力のない野心家議員及びそれを信用している国民が、絵に描いた餅を美味しいと錯覚したことに他ならない。そもそも経営の神さまといわれた松下幸之助の創設した松下政経塾出身や知名度だけで、国会議員になれることがこの国の立候補者の脆弱さを物語っている。  

 本来、議員はボランティア精神にあふれ、社会の荒波をくぐりぬけ、豊かな展望を実現できる、できればベテランパイロットでなければならない。○○塾への入塾の志も、結果からみると、疑わしいと思う部分もある。  要は主権者・主体者である私達にも、同様な、いやそれ以上の自覚と責任が問われている。はずかしながら、私は世の中のお世話を見直すために、テンダー会議を20年続けている。20年かけて会員はやっと40名たらずであるが、、、。

2010年5月17日月曜日

~この国の不明はどこから?~

 
 民主党に特別な肩入れをするつもりはないが、小澤一郎幹事長の資金管理団体をめぐる検察審査会の出した全員一致の「起訴相当」。私達素人には、こわい地検特捜部が出した「不起訴」という結論に対して、単なる市民感覚や推測で全員一致で、この結論が導き出されたことに一種の危うさを感じる。もともとマスコミは広告主やマスコミ全体を支えている分子に気を使いすぎ、真の報道がおろそかになっている。普天間移設の問題も、一方的に2万人に及ぶ反対派の報道をするだけで地元にとっては、島の経済を維持する為にも賛成派が多数いるという報道を怠っている。真の議論に欠けている。
 
 50年続いた自民党のダメぶりに楔を打ち、民主党に大いなる負托を与えたにも拘らず、今のマスコミ報道は支持率の低下一辺倒の報道ばかりである。世論調査の方法は、裁判員制度の導入も含め無作為を謳いながらどんな方法で該当者を選んでいるのだろうと疑いたくなる。比較的交友関係が広い私でさえ、この裁判員に選ばれたという人を聞いたことがない。そもそも世論調査といっても1億2千万人の中、1500人位の人の調査データをまとめているだけである。どんな意図的操作も可能で、調査とはいいがたい規模とお思いにならないだろうか。民主党の肩を持つ訳ではないが安易に支持率報道をして欲しくない。
 
 温暖化も不都合な真実と脚色しながら、昨今の気候は寒冷化とも思えるような状況。政治家たる者、この国を良い方向に舵を切るのに、周知を得て分かりきっているのに、その入口で目的地を見失っているような始末である。志(こころざし)以前の野心家集団としか思えない状況である。前向きな議論を尽くし英断をもって皆で力を合わせて日本丸を動かすことがどうしてできないものなのだろうか。

2010年5月11日火曜日

~ヒョットコの語源~




 お笑いの世界にしかみられなくなったヒョットコ。若者の中には知らない人もいるかもしれない。江戸時代いろいろな庶民の行動が幕府の禁制によって監視されいた頃、花柳の世界では笑いにこじつけてオカメやヒョットコが吐く、厳しい禁制に対する庶民の本音や皮肉が人々の鬱憤を晴らした。 ヒョットコの語源はヒオトコ=火男に由来している。火は先の本音である火を消さないように火を吹いている男。火は肝心の火。火男は大切なことを情念をもって行動し伝える人である。愚行を見て、怒れないのは、火が消えている証拠でもある。怒りの本質は人を思いやる、優しさに裏づけされていなければならない。火どころか煙さえ見えない今の社会、どうしたものだろうか?

2010年2月27日土曜日

見えないことの大切さ



 人の耳に聞こえる音、可聴音の振動数は
20ヘルツから20,000ヘルツと言われている。
演歌の女王と云われた美空ひばりや美声の
持ち主の音声域を、某音声専門家の分析し
た時、ある共通点が明らかにされた。
音声域を示す図は、山の形をしている。
共通点は、可聴音以外の音域までもが、
富士山の裾野のようになめらかに、丁寧に
歌われていることだった。


 結構という言葉は、家の構えが美しく出来
上がる(結ぶ)ことからきている。
美しく完成するためには表に見えない棟梁の
技や仕口が隠されている。施主の夢や願いも
吹き込まれているだろう。「美しいものには、
力がある」と故人云ったが、今の世の中が美し
く見えないのは、私達に、それを切実に希求す
る夢や、努力が不足していて、そのしくみすら
見失っているからかもしれない。

2010年1月17日日曜日

ジャーナリズム不在

 
 かつて、ある外国人特派員が、日本のジャーナリズム、特にマスコミを称して、「我が国のマスコミは本当のことを書かないことによって、生計を立てている」と皮肉った。
 
 大新聞の発行部数詐称、好評されている部数の70%程が実体。国民・大衆に事実を告げる使命を、自らの事業について怠っている訳で、どんなにお偉い論説委員が、現今の政治・経済状況について、筋道を示して評論しても、虚しく聞こえる。殆んどの記事の配信源は、共同通信や電通が牛耳っていると聞く。電通の社員は、同年齢の上場企業社員に比べ倍位の給料をもらっている。
 
 妬(ねた)み、嫉(つら)みの社会でも、知らない国民は妬みすらしない。マスコミに限らず、多かれ少なかれお上(かみ)に近い企業が得する構造は変わらない。どの記事を見てもそんな見えない裏の事実が見えてしまう。今私達が賢くなることが、この国のジャーナリズムである。