大震災さ中の桜
花冷えのせいなのか、それとも、被災者の方々の心情を想い、開花が遅れたのか、今年の桜の開花は遅かった。桜は、どんなことがあろうと、この時季の開花のために、風雪に耐え、じっとこらえてきたようだ。花びらの美しさとは裏腹に、支えている幹や枝は、黒々と、木肌は逞しい。そして、私達をやさしく、しあわせと夢の境地に誘ってくれる。こうした桜の習性は、生命の尊さとはかなさ、一瞬の自然の恵みの大きさを代表しているようだ。
折も折、一年前に入籍を済ませた息子夫婦が、昨年の暮にお世話になった方々をお呼びし、桜花の下で、感謝の宴を催したいと言ってきた。誰も予想だにしなかった、披露宴直前の大震災。お祝いに来られるはずだった、海外の列席者が、刻々、その深刻度を増す放射能汚染情況を目にし、十名近くキャンセルが出てしまった。それでも仕方ない、初志貫徹、こんな時だからこそと、自粛ムードに染まりつつある世間をよそに、四月十日、見事に満開の桜に包まれた、都心の結婚式場で二人の門出を祝うことができた。普通の日常がある処は、普通の行動を維持すべきだ。元気な地域まで自粛自粛では、被災地を救う活力も生まれないというのが実感だった。
考えなければいけないのは、有史以前からこの時季に桜は必ず咲き、地球のマグマ活動による地殻現象としての地震も、幾度となく繰り返されてきたという事実である。
絶大無限な宇宙生命によって誕生した私達人類も、そして私達の住むこの地球も、大きな宇宙、自然の一部である。地震も津波も、桜の開花と同じ自然現象とは言いたくないが、されど地球に住む私達は、こうした自然の営みの尊さと恐さを、便利さと、文明やテンコ盛りの科学技術によって、見境いを亡くし、混同してはいないだろうか。
どんなに人知が発達しても自然を超えることはない。私達の生命の本源である自然への畏敬を、私達はどうも見失っているように思える。
披露宴が終り、ホッとした瞬間、宴のあとの暗闇の中に、ひとひらの雲のように、うっすらと白い桜のかたまりが浮かんでいた。時折、風に吹かれて、散る花びらが、心なしか一筋の涙がこぼれているようにも見えた。私にとっては、愚息なるが故に、結婚に辿りつくまでの苦労に、一区切りをつけた関係者の感涙と、被災者の人々の悲しみの涙ともとれた。
今年の桜は格別だった。これを新しい営みの原動力にすることが、大切なのかも知れない。
原発事故は、傲慢になった人類が引き起こした人災
日本という国を一言で表すとしたら、それは桜でも天皇でもなく、私はあえて「唯一の被爆国」であるといいたい。その被爆国があろうことか、再び被爆国になる道を歩んでいる。東電をはじめ、大企業に操られた新聞メディア紙は、国民世論は、原発絶対阻止なはずなのに、原発維持に固執しているように思う。使われている世論調査を、原発の是非を問う形ではなく、継続を前提に、「何か気になりますか」というような、全くの愚問といわざるを得ない内容だ。
原発の被害情況や修復行程を、今だ、確固たる事実に基づいて、誰からも表明されることもなく、事故から1か月余が経ってしまった。過日、後付けで発表されたレベル7の放射能被災情況は、一体、いつになったら元の情況に戻るのか、日本人ならずとも、世界の人々が不安に陥っている。
報道されている放射能の拡散情況は、実際には、百倍近いという話も、横須賀の人から聞いた。噂は、禁物であるが、本当かも知れない。ご存知の方は、少いかも知れないが、横須賀は、元某首相のおひざ元、防衛族と云われる元首相ファミリーの影響下で、防衛予算の大筋がここで決まり、落されるとも云われている。防衛予算を支える企業群も多い処である。噂には信憑性がある。中でも、米国の意向に添い設立された、核燃料の製造会社もこの地にある。米国GEが主体となり東芝と日立の合弁で作らせた会社である。先に述べた米国カンザスの原発視察の際には、この会社の中堅メンバーと一緒だった。原発事故の際何故か、この会社には、燃料棒製造・管理の専門家がいるはずなのに登場していない。会社の業務システム等も、なぞが多い。是非、対策に一役買って欲しいと思う。
横須賀には防大もある。この度発足した復興構想会議も、その議長は、防大の学長である。防衛と核と原発は、3点セットのようでもある。復興構想会議への期待、そしてその果す役割は大きい。拙速に陥らず、真に近未来の日本の社会・経済システムを創造するつもりで、各委員には臨んでもらいたい。しかし、残念ながら、その人選も構想力に欠けているといわざるを得ない。
私達都市開発に関わる人々の間に「地元の改革は、地元の人に聞くな」というジンクスがある。余り地元における利害の得失が見えすぎ、大胆な発想ができないことに由来している。委員になられた地元三県の知事は、仕方ないにしても、構想力のある大阪・橋下知事や東京の石原知事のどちらかでも入れたい。同じ橋下でも、某メディアの同名の編集委員などは要らない。委員の発言が自由にならない恐れがある。また、会議の冒頭、ノー勘の管さんが、「原発除外」という発言をし、物議をかもし出した。哲学者の梅原猛さんが異論を唱えたのは流石だったと思う。呉越同舟、国民への勇気づけにならない結末だけは避けて欲しい。
復興構想は、自然に学び、自然への畏敬を以って
委員に選ばれた安藤忠雄さんが、その著書の中で、「神社のご神木より高い建物は建てたくない。」と確か、云っていた。高いご神木でも、せいぜい30M位いだろうか。建物の高さにして凡そ10階建てである。安藤さんの最近の作品である表参道ヒルズも、周囲の欅の高さを超えてはいない。建物自体は、個人的に好きではないが、ファサードは、見事なまでに、元の地形や並木、その他の環境をできるだけ壊さずに共存している。今回のような大震災でも、最も避難のし易い動線が確保されている。住居系の建物は、せいぜい3階建、高くても5階までにすべきだ。一方東京湾岸都心に林立する超高層は、科学技術の粋に支えられ、万全のように、今は見えるが、エレベーターが止まり、50階に住む住民が、災害時逃げ惑ったら、地上まで果して辿りつけるのだろうか心配になる。加えて液状化も心配である。
今の建築基準法は、技術と論理を駆使し、一見、万全のように想える。しかし今回の大震災は、こうした論理の域をはるかに超えている。自然の脅威は、今回の大震災をして想定外の途方もないことが起ることを私達に伝えようとしている。極論であるが、真の基準は、自然に基づかなければいけない。
荒野の一軒家に基準法は無意味である。鴨長明の住んだ、すきまだらけの苫屋でも良い。晴耕雨読したい健康な老人には最適かも知れない。年金でも、二百万円もあれば、苫屋であれば、十分建つ。その上、省資源、省エネ、省コストである。しかも平屋であれば、軽い素材故に生命も助かる。構想は柔軟でなければならない。
そのプロトタイプが、詩人高村光太郎が晩年に住んでいた、盛岡郊外の高村山荘である。計画停電の際、ローソクの明るさを再認識した人も多いと思う。高村山荘の厠の扉には、光太郎の光の字が一文字切り抜かれている。月夜の日、月の光が光の穴を通して厠を照らし、用を足したらしい。当時無電灯だった。
復興に向けての構想や智慧は無限だ。汎論を重ね「百年河清を待つ」気持ちで復興策の立案に臨んで欲しい。
亡くなった開高健の名言に「明日、世界が滅びようとも、あなたはリンゴの木を植える。」とある。その思いを共有したい。
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