2012年10月18日木曜日

オリンピックに視るイギリスのインテリジェンス

平成24年10月13日

○日本と異なる政治家の使命感

八月の上旬、オリンピック開催中と開催後のロンドンを二回訪れた。目的地はニューヨークだったが、オリンピック開催中というのに、半月前の予約で計画通りにエアチケットが取れたことに驚いた。更にロンドン市内は何回か訪れた、かつての日常と差して変わりなく、変わったことと云えば一つだけ、警備が強化され、通行止めが多かったこと位だった。
この日常と変わりないオリンピックの開催風景には後で知るのだが、イギリス人の伝統を大切にする生活ぶりと経済や社会システムに関する独自の智慧が見事に活かされていた。
ノーブレス・オブリージュ(高貴な使命感、絶対的自制心)の代表として今日の英国議会の伝統スタイルを創ったチャーチル、鉄の女としてEU統合の際にユーロ圏非加盟を宣言し、今日のポンド独歩高を実現し、英国の政治家魂を貫いたサッチャー元首相、この二人の天才政治家の偉業と恩恵が実は今もオリンピック開催中のロンドンのそこかしこに息づいていた。チャーチルはその生家(ブレニム城)がサッカー場と飛行場が入るような裕福な家に生まれた。政治家は経済的に窮々としていてはダメだ。ノーブレス・オブリージュは基本的に俸給は不要だ。
地域についても、日本の地方議会と違って欧米では多くの地方議員は職業をもち、土・日に開かれる議会で仕事をし、俸給もボランティア程度で少なく、職業化していると云われる日本の地方議員とは志が異なる。普段は何らかの実業に従事しているため、議論にあたっても一面皮な見方はしない。「意見はどの立場で見るかによって変わってしまう。」という諺どおり、英国では色々な場面でガバナンスのための両眼志向が伺えた。長い間労働党と保守党の両眼志向とも云われる政党が互いにけん制しながら政権を担当していることにも理由がある。

○銀行の発祥地にふさわしい経済理念

銀行をバンクというのはそもそもシティにあるテムズ河の堤防(バンク)を語源としている。バンクは海外からやってくる旅行者が上陸する起点で、時折密航者等も大いにこの堤防を利用した。必然的にインバウンドにはポンドを、アウトバウンドには外国の通貨を、というような具合に両替の必要が生じ、これが発展して今日の銀行の姿になったと云われる。
議員の使命感も前述の通りだが、今回のオリンピック開催のコンセプトも素晴らしい。
インスパイアー・ジェネレーション(INSPIRE・GENERATION)、いろいろな考え方もあると思うが、「世代を超えて引き継ぐものとか、全ての人々への勇気づけ」というような意味だと思う。資本主義や世界の潮流も大きく変わろうとしている中で、新たなエネルギーの創出を狙ったメッセージである。
ロンドンオリンピックの開催予算は、何と前回中国の1/5だったと聞く。スポンサーであるグローバル企業の協力のさせ方も見事だった。オリンピックに使う公用車は自国メーカーではなく、ドイツ№2の自動車メーカーとして、このところ業績を延ばしているBMW一本に絞った。BMWにとっては、50億近い投資だ。ここにも英国流のインテリジェンスがあったと見る。まず自国メーカーを使うとフェアーでなくなる。更に№1よりも追い上げている№2企業の方が考え方が柔軟で積極的だ。まさにインスパイアー・ジェネレーションと共通している。
開催中、チケットは決められた窓口以外では買えず、完売だったにも拘わらず、どの会場も比較的空席が目立った。空席の多くはスポンサー席だったようだが、これはすでにスポンサーが負担済みで運営に支障はない。ダフ屋は皆無で、たまたま泊まったホテル前のツーリストでキャンセル待ちの切符を2枚手に入れた。定額のままだが、バレーとボート競技の2枚併せて2万円、内村選手の出る体操競技は何と4.5万円で余りの高さに遠慮した。

○テロ対策も国軍を使い万全

会場入り口のセキュリティチェックは厳しかったが、どの会場も日本の場合と異なり、出入りはスムーズだった。チェックする係員は英国軍の兵士があたり、「あっ、これはイラクに派遣されていた兵士と同じだ」という出立だった。同行した英国に住む友人は「ここにも経費のかからない運営がある」と云っていた。
警備といえばテロ対策も万全で、普段イギリス近海を警備しているヘリコプター搭載の空母をテムズ河に移動し、常時会場上空をヘリコプターが定期巡回して安全を確保した。これも日常の軍事演習の枠の中で処理され、特別な経費はかからなかった。日本だったら各県警から千人単位で宿泊所から派遣経費までを用意し、多額の出費をしいられると、想像してしまった。

○既存の施設を活かし徹底した倹約ぶりの運営

経済的な理由かどうかは分からないが、マラソンのコース設定も、四回同じコースを走るという珍しいやり方だった。お蔭で、同じ場所で四回にわたって選手の表情やレースの醍醐味を味わうことができた。コース設定や警備に係る費用も1/4で済んだのならアッパレだ。
15日間の旅行中、雨に降られたのは、マラソン見学の前半一時間と、ボート競技を見に行った一時間だけだった。いずれも英国特有の海洋性気候のせいでシャワー・アンド・サンシャインと呼ばれている。ボート競技会場の最寄りの駅を降りて、会場までの約4キロ、下着までずぶ濡れになった。会場について競技を観戦する間に、瞬く間に乾いてしまった。驚いたことに周りにいる英国人は雨など意に反さないという雰囲気だった。そういえばイギリス滞在中、少々の雨では傘をさした人を見かけなかった。
このボート競技場も、ロンドンの中心街から郊外列車に乗り換えて最寄駅まで小一時間の、田舎町に設けられていた。しかも最寄駅から会場まで、バスと小一時間の徒歩、都合2時間半もかかってしまい、会場に着くのに一時間余り遅くなってしまった。
チケット購入の際、何となく心配だったのでツーリストの係員に案内を乞うたが、分からないはずだ。にわか作りの会場だったのだ。しかし「何故こんな不便な場所に」と誰もが首をかしげた。これにはイギリスらしいすごい訳があった。
ボート会場は沼地の浮草をカットして長さ2キロ、幅凡そ三百メートルのコースに設けられていた。すごい訳は、隣地にウィンザー競馬場があり、観客の出入りの混雑を解消することに最適な大駐車場がもともとあったからだ。数万と思われた観客も2階建てバスが裕に百台は停まると思われるこの大駐車場のお蔭で、何の戸惑いもなく流れていた。

<次代に引き継がれるメイン会場のインフラ>

ロンドンオリンピックのメイン会場となったストラットフォードは、かつて冷蔵庫や自動車等の廃棄物処理場として利用されていた所だ。これまで市民の嫌悪施設となっていたこの処理場が、今日のオリンピックでスポーツ施設として蘇るばかりでなく、オリンピック終了後は二千七百戸の住宅地に生まれ変わる予定だ。オリンピックの施設インフラとこの住宅地のインフラが共通化されていて、一石二鳥の再開発手法だ。若し次々回の開催地に東京が選ばれるようなことがあれば、大いに参考にしたらいい。蛇足になるが、日本で本当に開催されることになるのであれば、私はメイン会場に遷都論の候補地にもなっている、被災地の福島郊外を提案したい。このところますます東京への一極集中が続く中で、その過密ぶりの解消と被災地復興のシンボルともなり得る。徹底した除染を一日も早く実施し、原発即時廃止による安全宣言を含めて、観光客や留学生を観光資源豊富な日本に呼び込みたい。

<オリンピック会場よりもにぎわうロンドン塔>

オリンピック開催中もロンドン市民の日常は普段通りだ。これまた日常通り運行されているテムズ河の遊覧ボートに乗って往復してみた。日本と違って水際は市民の生活の場と直接繋がっていて、一体化していた。更に驚いたのは、水際を彩るマンション群のバリエーションの豊富さだ。水際にある建物は殆んどが10~15階止まり、内陸部に入るにつれて、階層の数が増え続け、どの住民利用者にもその景観を公平に愉しめるようになっている。いわば都市の景観を住民が愉しむ一つのスタジアムのようだ。更に地下鉄も百年前のチューブと云われる小さな車輌を今も使い続けている。オリジナルを最大限に尊重し、伝統を後世に引き継ぐように、活用できるものは「捨てない・壊さない」がはっきりしていた。
そういえば、オリンピックの開会式もそうだった。産業革命前のイギリスの風景、鉄鋼業に携わる人々のたくましく働く姿、放牧場と英国主産物の一つ、羊毛の製造工程等々、いながらにして今日の英国を支えてきた人々と伝統を見事にビジュアル化した。新鮮だった。その発想や人間的な意味において中国の時とは全て異なっていた。「天の時、地の利、人の和」という成功の要因を全て満たしていたように思えた。

<先人の智慧を引き継ぐ伝統空間>

金融経済の発祥地シティは、たった3マイル四方のエリアにある。再保険で有名なロイズをはじめウイリス、英国銀行等、数百の金融関連企業が軒を並べている。シティの特徴は、世界を相手に四六時中取引をやっているため、レストラン、バー、日常の必需品やサービス業が全て揃っている点だ。紳士服の仕立屋・靴屋・マッサージ店等は高い所得層の紳士が多いためか、極めて高級である。
そのシティのど真ん中に、百年前から使われている赤い電話ボックスがある。何でも最初はオフィスをもたない野心的な起業家達が、長い間この公衆電話を自分のオフィス代わりに使っていた。他の公衆電話と異なるのは、ここには固定の電話番号があり、今でも時間を指定すれば、相手からの電話をここで受けることができる。試しに、この電話ボックスに入ってみたが、夜は格好の浮浪者の避難場所となるため、悪臭が漂い、耐えられなかった。この電話を利用して創業し、今は、立派なバンカーや保険会社を経営している企業家達が沢山いるそうだ。携帯が普及した今日、今この電話ボックスを利用する人は殆んどいない。しかし、初期の起業家達の苦労を物語り、シティの発展に貢献した証しとして、残されている。金融業にとって最も必要な情報の提供者として、国際通信網の育ての親のロイターの胸像もこの電話ボックスの傍らにある。
テムズ河をはさんでシティの対岸にある、旧ロンドン市役所も有名な歴史的建造物だ。現在の市役所は超モダンな建物であるが、旧市役所は築百年余りのかつての宮殿だ。この建物が大阪の不動産会社の所有だというので驚いた。何でも、十数年前に日本の銀行の反対を押し切って買ったらしい。所有者のS興産はたくさんのマクドナルドのフランチャイジー等、不動産の運用で財を成し、今やこの旧市役所の資産価値は購入時の数倍、地下はテムズ河沿いの水族館として利用され、オフィスや住宅等が入り、ドル箱になっている。日本の企業にもこんなツワモノがいたのか。オーナーは「銀行の言うことを聴いていたら、金儲けなどできない」と言っているそうである。
いずれにしても、日本企業が英国の伝統の空間化に一役買っていることを見て嬉しかった。見習わなければならない。

○都市は人間の森

先に述べたテムズ河沿いのマンション群をはじめ、イギリスの国土は日本と似ていて、決して広くはないが不思議なことにどこにも広い公園と緑が点在し、狭さを感じない。それどころか、マンハッタン等よりはずっと広い感じがする。多分、自然と人を最優先し伝統的に人と自然が長い間、調和を見出しながら創り上げてきた結果なのではないか。都市は「人間の森」まさにその実現化したモデルがイギリスにはある。
年に大小合わせて三千回以上も地震に見舞われる国土にも拘わらず、軟弱地盤の海辺に五十階に及ぶ超高層マンション群を大地震後も建て続けている日本はどうかしている。大企業・建設官僚・ゼネコンも可笑しい。どんなに建築技術が優れていようと、理論的に可能であっても、想定外はないのか。いやこんなものが危ないというのは想定内だ。イギリスの都市計画手法を学べば、地震国日本で超高層を建てる理由はない。断言できる。

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